『サピエンス全史』~貨幣の誕生~
こんにちは、ゆうじんです。
サピエンス全史読み進めています。
5月はほぼこの本で終わってしまう予感がしてます。
もうちょっと理解力を高め、早く読み終えるように努力していきたいですね。
そして、今回は、サピエンスの歴史を考えるとしたら必ず通る道が”貨幣”ですよね。
今日はそこんとこ書いていきたいなと思います。
目次
1.互恵性と物々交換
まず、狩猟採集民時代には貨幣はなかったようです。
集団での生活でしたが、基本的には必要な物は自分で調達することができていたようですね。
確かに自身で調達することが難しかったり、何かを作ることが得意な人、苦手な人はいたかと思います。
そんな時は、ただで提供し、その後何か得意なものでお返ししていたそうです。
お互いに恵合う、互恵性の前提で伴っていたそうですね。
それでも地元でとれないような品物については物々交換で成立していたそうです。
「貝殻の代わりに、その石をくれ」などなどでしょうかね。
そして、農業革命後もしばらくは変化がなかったみたいです。
基本的には自給自足で成り立ち、集団同士で互恵性の関係性で保っていたそうです。
そして、外部とのやり取りには物々交換が成立していたそうです。
2.物々交換の限界
年月が経つと集団は村から町へ、大都市や王国へ変化していき、道路網が整備されると、専門家の機会が生まれてきたそうです。
得意分野で生計を立てることができてきたってことでしょうかね。
なぜか?
人口密度が上がってくると、全員が自分のことは自分で調達していると効率が悪いのかなぁ。
あの人はあれが得意だったからこの仕事を頼もう。そうすれば自分はこれが専念できる。
的な感じなんでしょうかね。
加えて、道路網が整備されれば、農村から都市へ食糧を運び(売り)に来ることができた。
そうなると、自身でで食糧を調達しなくても生計を立てることがさらにできてきたって感じです。
しかし、ここでちょっとした問題が起きたんです。
この専門分野をどのくらい提供したら何をどのくらい交換してくれるのか?ってことですね。
互恵性の関係は信頼関係や知っている者同士で成立するし、物々交換では限られた製品を交換するときにだけ効果的で、複雑で種類が増えてくると様々な交換することは難しくなってきます。
靴を磨いたら、リンゴは何個?腰の痛みを治したらリンゴ何個?
そもそも、そのリンゴの質は?いいところで甘みの強いリンゴ?
そして、リンゴはたくさん持っているから違うものを要求してきたら?
そうなってくると、リンゴのみならず、物々交換の限界がみえてきますね。
そうなると、共通した貨幣が必要になったわけです。
3.貨幣
貨幣は今での紙幣や硬貨ってわけではなかったようです。
多くの人が、”それ”には価値があるっていう、共同主観的な考えがあればなんでよかったわけです。
例えば貝殻。貝殻を何枚持っていても実用的ではないかもしれませんが、貝殻を媒体にして品物やサービスを交換し合うという形ですね。
それが貨幣の役割ってことです。
なぜ、実用的でないものが貨幣として価値を持つことができるのか?
それは誰もが欲しがるようになるからです。
その貝殻があれば、あれと交換できるなどかなぁ。
4.貨幣が機能するには
ってことは貨幣ってのは我々が共有する想像の中でしか価値がないわけです。
ほかの動物にとっては何の価値もない。さらに言えば日本の紙幣を持って行ってもそれが通用しないサピエンスの集団もありますもんね。
貨幣は物質的現実ではなく、心理的概念なのだ。
引用:サピエンス全史(上)
それがなぜ通用するのか?
それは信頼しているからです。
それには価値があると信頼しているってことでしょうね。
裕福な農民が自分の財産を売ってタカラガイの貝殻一袋にし、別の地方に移ったのは、彼が目的地に着いたとき、他の人が米や家や田畑をその貝殻と引き換えに売ってくれると確信していたらだ。
引用:サピエンス全史(上)
ここで、タカラガイがほかの地方では何の価値も信頼されてなかったら、自分の財産をタカラガイに変えることなんてできないでしょうよね。
5.まとめ
いかがでしたか?
今回は、貨幣について書かせていただきました。
サピエンスの増加によって人口密度が上がっていくと、専門的な”職業”がでてくる。そうなってくると、小さな集団で成立していた互恵関係や物々交換には限界がくる。
そうなってくると、品物やサービスの仲介として貨幣が生まれたってことでしょうかね。
貨幣そのものには何の役にも立ちませんが、それには”価値がある”とみんなが思うことで成立する信頼に基づいた制度ですね。
貨幣は相互信頼の制度であり、しかも相互信頼の制度ではない。これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ。
引用:サピエンス全史(上)